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2022/9/1 社長ブログ

③私の履歴書【オプト入社〜試練の日々編】

私の履歴書」とは、日経新聞の最後のページに掲載されている人気コーナーです。紙面では、各業界の著名人が自らの経歴や生い立ちを語っています。

ここでは「私の履歴書」のお名前を借りて、私浜中自身のこれまでの人生を振り返ります。

なお、本記事は連載の3本目です。過去の記事は、下記のリンクからご覧ください。

オプト入社後の衝撃

私が株式会社オプトへ新卒入社したのは、2015年4月のことです。同期入社は、グループ会社を含めると60名ほどだったと記憶しています。

入社してから1ヵ月間は新人研修を受講しました。研修では、社会人としての基礎やオプトの主要業務である「広告」の知識を学びました。

ここで度肝を抜かれたのが、「同期たちの優秀さ」です。

大半の人がいわゆるMARCH(マーチ)以上の高学歴だということが判明。学歴で見ると、私は下から1~3番目だったと思います。

そして、同期たちの凄さは学歴だけではありません。誠実な人柄もさる事ながら、一緒に研修を受けるなかで、「頭の回転が全然違う!」と痛感させられました。

今でもよく覚えているのが、グループワークでの出来事です。

研修では、6人1組のチームを組んでグループワークに臨みました。私はここで自ら手を挙げてリーダーになりましたが、人生で初めて「みんなの会話のテンポと質が高くて、まったく話についていけない」状態になりました。

周りの同期は飲み込みが早く、どんどん話を先に進めていってしまうので、私が理解する前に話題がコロコロと変わっていきます。

そんな私の状況に気付いてくれ、助け舟を出してくれたのがFさんです。同じグループだった彼女は、リーダーの私が話についてきていないと見るや、内容を要約してわかりやすく教えてくれました。

ただ、それでも僕は話に付いていけず、困り果ててしまったのですが。。。笑

あまりにも大きなレベルの差を見せつけられた私は、入社して1ヵ月あまりで「これはとんでもない組織に入ってしまったぞ。。。」とかなり落ち込み、一気に不安になったのでした。

試練の日々がはじまった!

新人研修はあっという間に終わり、私は広告運用事業部のとあるチームに配属されることになりました。

このチームは全員が個々に優秀な方々で、更に驚きました。

当時チームリーダーだった上司は、とてもパワフル。私が仕事でしょっちゅうつまづいても、そのたびに叱咤激励をしてモチベーションを高めてくれました。

また、OJTの指導担当となっていただいた先輩はとびきり優秀な方でした。すべての業務を効率よくこなし、着実に成果を上げる人で、社内では特に目立っていませんでしたが「知る人ぞ知る存在」といった感じです。

私はこのチームの方々からは本当に多くのことを学びました。

「仕事へのスタンス」「思考法」「ロジカルシンキング」「情報収集術」「PCスキル」「チームビルディング」など、現在の私の基礎ビジネススキルの60%は当時のチームの影響で形成されていると思います。

チームに配属されてから初めて担当したお客様は、鉄道関係の企業でした。同社が運営しているWebサイトの広告運用をサポートすることになり、チームのリーダーや先輩たちからは学びのスピードが亀な私にとても根気強くご指導いただきました。

このときの私は何の仕事をするにも質が低く、なかなか社内のOKがもらえなかったため、ここから少しずつ残業や早出が増えていきます。

当時、私が最も苦手としていたのは「分析」です。

広告運用で成果が出ていないときは、その要因を分析して1つずつ対処していく必要があります。

複数ある要因に優先順位をつけて対応しなければならないところ、当時の私は「小さな要因」にばかり目がいき、「大きな要因」に気付けないことが多かったです。(「木を見て森を見ず」の状態です。)

チームの方たちからは「浜中君は全体の要因の1%の話しかしてないよ」「君の分析では改善しないと思う」などとご指導いただくことが多く、悔しい思いばかりしていました。

ただ、ここで根気強く思考した経験のおかげで「インパクトを加味して優先度を付けて、最小リソースで大きな結果を得る思考」と「物事を系統立てて考えるロジカルシンキング」が身に付きました。

WALTEXが会社を立ち上げてから今のところ順調に業績を伸ばしているのも、経営課題を数字を元に分析し、優先順位(インパクト)の高いものから対処してきたからだと思っています。

残業は月に100時間近くなることも……

私の仕事の質の低さもあって、チームに配属されてからは少しずつ勤務時間が長くなっていき、次第に月の残業が70〜100時間になることが当たり前となりました。

これは1日あたり5時間ほど残業していた計算で、この頃は毎日のように深夜まで働き続けていた記憶があります。

特に忙しい時は会社のなかで徹夜で仕事をしたり、通勤に2時間掛かるのがもったいなくてカプセルホテルに泊まったりすることもありました。

カプセルホテルは、新宿と池袋にある「温泉+朝食付き」の所によくお世話になりましたね。

(※残業はあくまで当時の話であり、今は改善されてるのでご安心を!)

また、当時の私が楽しみにしてたのは、「仕事終わりの日高屋」。残業が終わって夜遅く地元の駅に帰ると開いている飲食店は日高屋くらいで、そこで食べる「豚骨ラーメン+餃子+コーラ」の組み合わせが最高に美味しかったです。

ただ、もちろん体には良くなく、気が付いたら体重が入社時より10キロも増えていました。。。笑

残業時間が長くなると、段々と頭も回らなくなるもの。こうなると、仕事中のミスも増えていきました。

大きなミスをした際には報告書を書く必要があり、私は初年度で合計8回くらい作成しています。しかも、そのうち3回は1週間以内に連続して書いたため、さすがに上司に呆れられました。。。

報告書を作成している間は他の業務がストップするので、「さらに仕事は溜まっていく→残業が増える→睡眠が取れず、またミスをする」という悪循環に陥っていきます。

転換点となった部長との面談

そんな残業続きのある日、Excelで資料を作っていたら、突然涙が止まらなくなってしまいました。

「これは何かおかしい!」と感じて病院へ行ったところ、医者から「少し仕事を控えて、体を休めたほうがいい」というアドバイスを受けます。

そこで、部長のもとへ休職の相談に行くことにしました。

面談の場では、「もう無理です!」「できません!」と涙ながらに部長に訴える自分の姿がありました。誰かに弱音を吐くというのは、私の人生で初めての経験です。

部長は私の話をじっくりと聞いてくれたうえで、ホワイトボードを使って「仕事で何が辛いのか」を一緒に考えてくれました。

話をするなかで、私は「細かい事が苦手。分析ツールの管理画面を見るのがもう嫌だ」と気付きます。一方、「お客様に新しい提案や新機能にトライする事」は好きで得意かもしれないと思えました。

そこで、部長からは「自分の好きなことや得意なことにフォーカスしてみよう。苦手な事はアウトソースする仕組みを作ろう」というアドバイスをもらいます。

この言葉は、私の仕事環境とマインドを大きく変えることになりました。

「得意」にフォーカスすることを覚える

部長との面談の翌日から、私は自分が得意とする「お客様への提案」に集中できる仕組みを作り始めます。

運用担当者にはオペレーターというサポート担当が付けられていました。そこで、自分が苦手な「管理画面のチェック」などは、オペレーターに巻き取ってもらえるように指示書を作り、1日1個ずつ、小さな事でも良いので、移管を進めます。

そうしてリソースに余裕ができると、「お客様への提案」について考える時間が長く取れるようになりました。

結果として、担当しているお客様の成果を伸ばすことに成功。新しい提案も多く受け入れられるようになりました。

この「他の人に業務を任せる」という経験を通じて、現在につながる「会社を経営するためのチームビルディング」のスキルも上がったと思っています。

ここで私が学んだことは以下の2つです。

  • 辛いときは弱音を吐いてOK。一人で抱えずに周りを頼っても良い
  • 自分が苦手なことは、それが得意な人に任せる。双方が自分の得意なことに集中すると、チームとして成果が上がりやすい

このことに気付いたことで一気に仕事が楽しくなりましたが、その後「第二の試練」が私のもとに訪れます。

その話は、また次回の記事でお話しようと思います。

投稿者

浜中 広助
浜中 広助株式会社WALTEX 代表取締役
「志を支援する」パーパスの元、デジタルマーケティング支援会社を経営。(2024年6期目/メンバー数約15名/最高年商2億)パーパスに共感したクライアントの成果創出を「誠実なエース人材のみ」でチームを構成し、エンドユーザー目線を徹底する方針で支援してます。
経歴:オプトで運用型広告コンサルタント→サイバーエージェントグループのウエディングパークにて、運用型広告の営業→WALTEXを創業。Speee様、KUMON様、DIGITALIO様など、大手から中小企業(ベンチャー/スタートアップ)まで支援実績インタビューをHPで公開中。

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